文系のクソザコが一念発起して理系科目を勉強するシリーズ①

文系として数学に虐げられてきた俺が修行したら理系科目で無双できるようになっていた~気が付いたらリーマン予想を証明していたんやが~

 

こういうなろう系勇者目指してます(大嘘)。

このブログのシリーズでは(続くかどうかわからないが、とりあえずアウトプットの場を設けるということで昔つくって放置していたアカウントを動かし始めた。Twitterとか他のものにするかも。)、数学を主とした理系科目の勉強模様を報告していこうと思います。

 

東大入試本番では全「受験者」中下位5%に入るような記録的雑魚点数をたたき出し、講義でも努めて数式の出てくる科目を避け続け、これまでの人生でおよそ算数・数学でいい思いをしたことのない(中受では算数が敗因で第一志望に落ちた)僕が、必要に駆られて勉強を始めることになりました。受験というフィールドでは人より問題が「早く」「正確に」解けることが重視されるので、なかなかそうした才能がない僕が数学で勝てなかったのは当然でした。だからあまり数学を熱心にやってこなかったのは受験戦略としては間違いではなかったと思うし、実際後悔も全くありません(数学がカスみたいな点数でも合格できるプランを事前に練っていて、それ通りうまくいったので)。しかし、どうも大学数学にちょろっと触れるうちに気が付いたのは、大学数学は受験数学とは異質なもので、厳密さとレンガを積んでいくような丁寧さで論理展開を構築していくのが大切であるということです。それならば僕でも、時間制約なし・点数評価なし・別に数学者になるわけでもなく実践的に使用するのが目的な「大学数学フィールド~使用者編~」ではそれなりに戦えるのではないかと思い、このシリーズを始めます。前述のように、緩ーくやることが目的なので、数学書を輪読会!みたいなガチ路線は志向していません。

また、物理の基本的な部分を少しかじる必要と(特に力学)、プログラミングを出来るようになる必要を感じているので、それも数学と並行してやっていきます。

具体的な計画としては、

7月下旬までに微分積分学・基礎レベルのpython

8月中旬までに力学(高校物理まで、受験問題軽く触れる)

8月下旬までに大学1年の線形代数修了を目指す

で行こうと思います。

では対よろ

受験を経て思ったこと1

報告が遅れていたが、3/10に東大に受かり、今東京大学の一年生をやっている。

人に褒められるような受験生活をおくってきたわけではないが、いま振り返って思うことをつらつらと書きつらねたい。コロナのせいで実感がわかないし

 

1.僕の終盤期の気持ちの支えは塾の数学クラスだった。ただ、僕がそこで見た数強はほとんどみんな落ちた。なぜなのか、理由はわからない。そもそも自分が受かったことが奇跡のように思える。高校では合格余裕枠と呼ばれていたが、実は僕の成績は秋から冬にかけて下がり続けていた。外から見た自分の姿と本来の僕の実力が乖離し始め、大変つらい思いをした。そうなっても自堕落な僕は計画を立てて勉強しようとしなかった。そしてさらなる自己嫌悪、現実逃避に陥っていた。ちなみに僕が2019年4月に購入した合格手帳なるものは一年間ほぼ白紙のままだった。

そんな自分を明るい気持ちにさせてくれたのは小豆さんのブログだった。等身大の受験生が描かれていて、二年前の彼女をなぞるようにして毎日を過ごした。プラス思考が結局最後に勝つのではと思い、直前期は意識してポジティブに過ごした。2/24に眠れなくてもいいと教えられたし、緊張に押しつぶされなかったのも「にやにやが止まらない」という前日のフレーズのおかげだった。笑いが止まらない、と思うことで自分が小豆さんをなぞるような強者だと思えたのだ。

 

2.高校のクラスメイトに対しても感謝したい。僕は秋からおしゃべり野郎と化してだいぶ迷惑に思った人もいたかもしれない。そんな中嫌な顔一つせず僕と付き合ってくれた友人たちには感謝したいのだ。とくにN、T、M君の三名には感謝したい。

 

3.僕は志望科類をセンター後に変えた。苦渋の決断だったが、ある人が同じ科類を目指していることを知り、がぜんやる気がわいた。ありがとう。

 

4.受験生活は結局一人ではできない。食事、洗濯をはじめとする毎日の生活を支えてくれる家族の存在が圧倒的に必要だ。さらに僕は直前一週間運動不足解消と息抜きのために妹と卓球をした。これもいい気分転換になり勝因の一つだった。ありがとう。

 

さまざまなことが受験生活のうちにはおこる。これをどう処理していくかは今までのどんな人生のイベントより自分にまかされている。万が一、これを読んだ受験生がいたら、君の健闘を祈りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

きのこ帝国について

この記事で言いたいことは1つだ、きのこ帝国というバンドは神である。

 

よく彼らの音楽性はシューゲイザー、ポストハードコアなどと言われるがそんな分類には収まらない。収められない。彼らの曲こそ邦ロックの極致であり、最高到達点であると僕は思う。とにかく言葉では伝えられないくらいきのこ帝国は良い。

 

好きな曲を挙げろと言われたら、疾走、海と花束、怪獣の腕の中、東京、クロノスタシスなどキリがない。

 

よくYouTubeなどでは「彼らの音楽性は変わった」だとか「昔の方が良かった」「いや今の方が良い」などと下らない論争が繰り広げられるいるが、彼らの音楽性は一貫していて、全て延長線上にある地続きのものなので彼らのコメントは完全に的外れだ。ユーリカがあったから猫とアレルギーもあるのだ。これはあくまでリスナーのマウントの取り合いであって、きのこ帝国の良さは揺るぎないものだ。

 

とにかく僕はこれからもきのこ帝国を聴き続けます、本当に良すぎるバンドだ。

姿勢を良くするということ

「姿勢」についてあなたはどう考えているだろうか?もちろん社会的には、姿勢が良いということはポジティブに受け止められる。ネガティブに受け止められることはまずないと言っていいだろう。反対に「猫背」はあまり良くは受け止められない。もちろん例外はあるだろうが、一般的にはこのような捉え方をされる。

 

僕は小さい頃から猫背に撫で肩、ストレートネックで俯いて前傾姿勢で歩く癖があった。悪い姿勢のフルコンボ、フルコースだ。特に背中に重い荷物を背負っているとその辺のお婆さんより腰を曲げて歩いていた。

 

そんなある日、僕は部活の練習中に怪我をした。右股関節を痛め、右太腿に肉離れが起きたのだ。(これは今でも完治はしていなくて、たまに痛みを感じることがある)

 

そこで、整形外科に行き診てもらい、そのあとは柔道整復師のところや近所のカイロプラクティックに行きリハビリをした。その時受けた治療は特には印象には残らなかったのだが、1つだけ印象に残っている言葉がある。治療院に入り挨拶した瞬間、

「君、姿勢悪いねー、ちょっと見ただけでわかったよ」

と言われたのだ。

これを聞いて僕は驚いた。他人の目からほんの少し見ただけで分かるなんて。

そしてさらに「この姿勢の悪さが今回の怪我の遠因かもしれない」と言われたのだ。

 

僕はそこから本気で姿勢を正すことを自分に誓った。

まず、姿勢の悪さというのは「体幹のなさ」、「腹筋背筋の釣り合いの悪さ」だと思う。僕は小さい頃から背筋が弱く、また比較的腹筋があった。さらに、腹筋でも左の腹筋の方が右の腹筋に比べて強かった。(これは小さい頃からやっていたテニスが原因だと思われる)

これをまず矯正することを始めた。

ただ、いきなり背筋トレーニングを始めたわけではない。

歩く時、上体を起こし続けることを意識したのだ。大したことないじゃないか、と思うかもしれないがこれは姿勢が悪い僕にとってはかなりの苦行だった。もちろん意識し続けても姿勢は自然と悪くなるから窓ガラスや店などに置いてある鏡なども利用して、常に自分の姿勢を客観的に見続けた。

個人的には、リュックサックを前に抱えた時の姿勢と、「地面を制す」感覚で歩いた時の姿勢がベストだった。

電車に乗っている時のようにリュックサックを前に抱え歩くと、たしかに骨盤に背骨がまっすぐのっている感覚がある。

また、「地面を制す」というのは地面のアリなどを睥睨して、偉そうに歩くことだ。この表現には気恥ずかしさと誤解の余地がある。つまり、これは単に顎を上げたり胸をそらせるということではない。なんというか地面を制す、伏すという表現でしか表せない。

そのあと僕は体幹レーニングを始めた。色々やったが、プランクを1日1分10セットがベストな気がする。

 

これらを続けること6ヶ月ほど、僕は徐々に姿勢が良くなっていることを感じ始めた。道を歩く時も、以前はサラリーマンにぶつかられることが多かったのだが、狭い通路では向こうから避けるようになった。些細なことでもメリットしかない。

 

そして僕は姿勢が良くなるにつれてポジティブな思考に切り替わった。これは姿勢の改善が原因とは限らないが、個人的にはたしかにそんな気がする。人間の思考というものは視覚に占められる割合が高いのだ。普段見ている景色が単調な灰色のアスファルトから鮮やかな人の流れに変わったということは、多少なりとも僕の脳に良い影響を与えたのではないだろうか。

 

長々と書いてきたが、何が言いたいのかというと、姿勢を良くすることには様々なメリットがあるということだ。たとえそれが些細なことであれ、なんであれ。

 

 

発見

僕は都内の中高一貫の男子校に通っている高校2年生だ。毎日学校に行く際に有楽町ー日比谷間を徒歩で移動している。帰りももちろん同様だ。

そんなある日、桜田門から霞ヶ関間が歩いて二、三分ほどの距離だと僕は知ってしまった。そう、桜田門霞ヶ関間は250mほどで、徒歩で移動できるのだ。これは僕にとって圧倒的時短になる。さらに道も有楽町ー日比谷間より圧倒的に綺麗だ。美しい皇居が見えるし。
しかし今までこんなルートがあることは誰も教えてくれなかったし、インターネットにも(僕が調べた限り)載ってない。メトロの職員だってそんなことは教えてくれなかった。友人の鉄道オタクでさえこれについて知らなかった。
世の中の僅かな人しか知らないこの秘密を占有したい気持ちと、同じようなルートで通学・通勤する人達に教えてあげたい気持ちで僕は迷っている。ここに書いたらいつか誰か見るのではないかと思い今これを書いている。有楽町線日比谷線ユーザーの方でいま有楽町ー日比谷間を歩いてる人がいたらこのルートを使ってみては如何でしょうか。

はじめました

ブログを作りました。

ボチボチ書いていこうと思います。

ということで、よろしくお願いします。

 

(2021年1月追記)

2020年春に僕は無事某国立大学に合格した。

大学生活1年目が終わろうとしているが、コロナに邪魔され、思うようにならないことが多かった(海外旅行を一度もできなかったのはつらかった)。2020年の記憶というものがあまりない。ぼんやりしたまま終わってしまった。コロナ関係のことを含め、社会に対していろいろ考えたものの、昨年は人と会える機会が減り、だれかと話すことでその思索をまとめることがあまりできなかった。そして、2021年こそ人と交流を深めるぞ!と思った矢先に緊急事態宣言だ。正直がっくりきたが、これも何かのチャンスだと前向きにとらえ、思索やとりとめのない考えを徒然に書いていこうと思う。僕が大人になったとき、改めて読んでみると面白いかもしれないし。